不思議体験:2017年アセンションした顔

◎この文章は不思議体験:アセンションした顔?の続編で2017年の体験談です。驚愕の不思議体験から1年が経過して、更に驚くべきことが分かって来ました。この体験談が皆さんのアセンションの道しるべとなれば、幸いです。


2017年1月1日。私は帰省した知人のМさんに会いました。久しぶりに会った彼女(=Mさん)は2016年に比べて、顔の浮腫(むく)みも取れてすっきりした様子でした。

 

Mさんは昨年、私が直接転写したエネルギーによって数年来、患っていた原因不明の腹痛が治ったことを報告しに来てくれたのです。(※私の転写は身体の不調な部分を手で触ったり、ハグする=身体を抱きしめるだけの行為です)。

 

そしてこの日。Mさんと私は昨年と同様に我が家で、たわいない話をしながら6時間ほど一緒に過ごしました。17時50分頃。彼女が帰省している実家に帰宅する為、我が家の玄関を出て玄関横に止めてあった車に乗る前のこと。見送りで出た私にМさんが挨拶しようとした瞬間昨年と同じことが起きたのです。

 

その時のМさんは、私の顔をジーッと見つめて微笑み、「あれ?中山さんの顔、また変わってるょ…不思議!」と話しかけてくれましたこの言葉を聞いて向かい合うように立っていた私が彼女の顔をジロジロ見るといつの間にか、彼女の顔も別人のように変わっていたのです。

 

ただし、私が見た『不思議体験:アセンションした顔?』

2016年1月3日の変化と2017年の1月1日に変化したMさんの顔は明らかに違っていました。

今回は、この違いを説こうと思います!


2017年元旦に起きた、この不思議な出来事ついては後日、Mさんが私に送ってくれたメールを原文のまま、ここに記載します。(※彼女は変化した私の姿をアニメ、銀河鉄道999のメーテルのようだと比喩します)。

 

『中山さんの身体は身長は前より低く、とても小柄でした。でも身体の幅は細かったですよ。顔は縦細い輪郭で、とても小っちゃかったです。眼はメーテルの目、目尻に向かってまつ毛が長く細くなっていく感じ。年齢は、難しかったですね。前回のメーテルよりは年上だと思います』。


次に私が見たMさんの変化した姿を記載します。

 

2016年に変化した時(身体は細く小顔で目鼻立ちがハッキリとした27歳ぐらい)比べると今回のMさんは顔だけが変わって、身体はそのままでした。前回よりは年齢が年上で30歳から34歳ぐらい。顔の全体がふっくらとして瞼が重そうで、とても印象的な眼をしていました。それは前回に私が見た彼女のアセンションした顔との違いに、別人かと戸惑うほどでした。

 

この時、変化したMさんの顔を見た私は驚きのあまり、とっさに彼女の顔の輪郭を何度も何度も手で撫でたのですが、輪郭は確かに変化して丸くて小さな顔になっていました。本来のMさんは面長で長方形の顔なのですが…。


そしてこれまでのことで分かったことが、この変化には特出すべき点があります。この変化は光に反応するのです。

 

薄暗い光の中で姿形は変化しますが、明るい電球の光を浴びると元の姿に変わります。Mさんと私が変化した場所は室内の灯りが、ほんのり照らし出される場所です。反映される彩光が、全く違う次元界を通して表れているからです。

 

その姿は時を超えて、この世界の分別を意味する光の違い、光体となる意識エネルギーの格差を作り出します。エネルギーの連鎖がつくる光体反応は同じ種族の流れを組む者同士で無ければ、エネルギーの反応が出ないのです。

 

エネルギーの違いは、流れる遺伝子の量で光の反応が違っています。このことから自然界の仕組みも同じことで光体となるエネルギー物質を作り出さなければ、遺伝子は変わらないことになります。

 

Mさんの持つエネルギーと私の持つエネルギーの違いは、身体の変化に表れました。二人とも、前回見た時に比べて年齢が年上だったのは、意識層に反映された遺伝子の量が、まだ不完全であることを映し出したのではないかと私は思います。

 

光体となる流れを組む者同士の光の交換儀式が、新しい創造の秩序となるのです。

これが、これからのアセンションの歩みです。


アセンション
<不思議体験:2017年アセンションした顔>

 ⇐Mさんは我が家を訪れた時、いつも、この窓の近くに車を駐車します。方位は東。私とMさんは、この窓から照らし出される灯りで顔や身体の変化を見ることが出来たのです。

 

顔や身体が変化した時は、周囲が、もっと明るく感じたのですが写真で見ると随分、暗いように思えます。

 

アセンション
<不思議体験:アセンションした顔>

 

比較する為に玄関の灯りも撮りました⇒

撮影したのは2017年1月18日、19:00頃です。

 

上下とも写真に修正、加工は一切していません。